☆第1分冊 真面目な私を知りたい方のために
1948年に広島市に生まれました(南区向洋本町)。母は被爆者なので,私は被爆U世ということになります。1961年に広島市立青崎小学校を卒業(金本知憲は後輩),1967年に広島学院高等学校を卒業,1973年9月に京都大学医学部を卒業し,1年間大学病院で研修した後,兵庫県の公立豊岡病院精神科に勤務しました。豊岡病院では畏友石坂好樹と共に児童精神科外来を開設して診療しながら,2人で児童精神医学を学び合いました。
その後1980年から1年間,碩学Michael Rutterの率いるロンドン大学精神医学研究所児童精神医学部門で児童精神医学を学び(と言いたいところですが,映画館にいる時間の方が長かったと思います),帰国して1981年より2010年3月まで京都市児童福祉センターに勤務しておりました。2010年4月からは非常勤の児童精神科医として,週に3日だけ京都市児童福祉センターで働きました。同時に,2005年から兼務していました京都市発達障害者支援センター”かがやき”のセンター長の職も辞しました。私の後任には村松陽子が就きました。
常勤で在職した最後の年(2009年)に,日本児童青年精神医学会の第50回京都総会の会長に任ぜられ,私の信念に則り,製薬会社の寄付を断って総会を開催することができたことは望外の喜びでした。
私の児童精神科医としての師は高木隆郎先生ですが,もし私に思想と言えるほどのものがあるとすれば,それはさらに3人の師に負うています。その3人を知った順にあげると,田川建三,宇沢弘文,小澤勲となります。最もよく言葉を交わしたのは,,児童精神医学高木門下の先輩である小澤先生です(残念ながら2008年に鬼籍に入られました)。
宇沢先生とは直に言葉を交わしたことはありませんが,1974年に上梓された岩波新書の『自動車の社会的費用』を読んだときには,とても大きな衝撃を受けました。その後,公共経済学関係の御著書は片っ端から読みました。さらにその後,御講演を聞く機会が2度ありました(立命館大学と同志社大学で)。『自動車の社会的費用』を勧めてくれたのは,厚労省の元事務次官の阿曽沼慎司君でした。彼は私の高校の2年後輩で,当時京都大学経済学部の学生でした。彼が大学受験した年は,東大の入試がなかった年です。そのために幸か不幸か京大に入学し,付き合いが始まりました(高校時代は接触はなかったのです)。下宿の隣の部屋が空いたので,彼を引っ張り込み,今日までの長いお付き合いが始まりました。彼は厚労省を退職後,iPS研究所を経て,京大理事になっています。
しかし,何と言っても最も深甚な影響は,「神を信じないクリスチャン」田川建三先生から受けました(田川先生のホームページ)。田川先生の御著書は上梓される度に感動しながら読んできましたが,大著『書物としての新約聖書』と『新約聖書 訳と註』シリーズはじっくり読みたくて,退職してからのお楽しみにとっておきました。
2010年3月末日に退職し,早速『書物としての新約聖書』を読み始めたのですが,非常勤で兼務することになった超高齢障碍者グループホームの副施設長の仕事が忙しくて(要するに両親の在宅介護,施設長は妻),恥ずかしながら読了するのに1年もかかってしまいました。引き続き,『新約聖書 訳と註』シリーズを読み進めています。2020年5月現在,第1巻「マルコ福音書/マタイ福音書」,第2巻上「ルカ福音書」,第2巻下「使徒行伝」,第7巻「ヨハネ黙示録」,第5巻「ヨハネ福音書」と読み進め,第3巻「パウロ書簡 その一」まで来ました。残るは,第4巻「パウロ書簡 その二/擬似パウロ書簡」と第6巻「公同書簡/ヘブライ書」です。各巻800頁余,ほとんどが註というすさまじい書物です。そしてやっと2021年に読了しました。
2015年からは,自閉症支援の一つとして,クラフトビール醸造プロジェクト「西陣麦酒計画」を同志7人で開始しました。翌年にかけて,門塾という連続講座を開き,受講料をすべてビール・プラント建設の資金としました。2017年8月に醸造免許を取得して京都西陣のNPO HEROES,2023年からは,社会福祉法人菊鉾会ヒーローズで醸造を開始しました。
2017年9月30日に完全に京都市児童福祉センターを退職し,奇しくも翌日の10月1日に,西陣麦酒の第1号ビール《柚子無碍》を売り出すことになりました。柚子無碍(ゆずむげ)は融通無碍(ゆうずうむげ)という4文字熟語に懸けたもので,私が命名しました。以来,西陣麦酒の広報担当として遊んでいます。(2023/12/24)
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